1.はじめに 今回は、東京都内に分布している公 園の歴史や種類、その性格についてお 話しします。 江戸時代、市民の行楽地として、季節 ごとの花見や蛍狩り、紅葉見物に寺社 仏閣の境内や池や川の水辺にでかけて いました(図1)。その後明治6年 1873 )の太政官布達により公園制度が 誕生します。東京ではこのとき、浅草 寺、寛永寺(上野)など5ヵ所が公園 として指定されました。その後明治 22 年( 1889 )の市区改正設計で本格的に 計画された公園は日比谷公園で、明治 36 年( 1903 )に開園され、我国初めて の洋風公園として設計され、東京の新 名所となりました。大正12 年(1923 )の 関東大震災では、樹木で覆われた上野公園や日比谷公園が避難場所となり、多くの人々 の命を救いました。戦時中の公園は食糧増産のため農地となり、戦後まもなく策定され た戦災復興計画では鉄道沿線等に大規模な公園緑地を計画決定し、戦前の環状緑地帯や 防空空地帯計画を基にした緑地地域の指定を行うなど雄大な公園計画が示されました。 高度経済成長期には、自然の減少や公害の発生など都市にひずみを生み出しました。こ のため公園は、都市環境の改善になくては ならない施設と位置づけられるようにな り、昭和40 年代後半には東京における自然 の保護と回復に関する条例が施行されるな ど、自然環境の保全に対する取り組みが強 化され、海上公園や公園緑地の整備がはじ まり、都内の公園整備も多様化してきまし た(写真1)。昭和 50 年代に入ると、公園 緑地に関する事業がさらに多様化してきま した。昭和57 年(1982 )には東京都長期計 画が策定され、そのなかで21 世紀初頭まで に都民1人当たりの公園面積を6 m とす る目標が示されました。 1 図1 江戸の遊観所 1) 写真1 高度成長期の公園整備 1) (駒沢オリンピック公園)