33 5-2 多摩川の防災 (1)水害と改修 1907年(明治40)と1910年(明治43)には台風 により大水害が発生し、特に1910年(明治43)8 月の大洪水では、我が国水害史上でもまれに見る大 災害で、多摩川全域にわたって氾濫し、流域の55市 町村が被災した。氾濫面積は約10,400ヘクタールに 及んだと伝えられている。 こうした被害に苦しんだ住民たちの多摩川に堤防 を求める声がきっかけとなって、1920年(大正9) から1933年(昭和8年)にかけて多摩川下流部で初 めての本格的な堤防改修工事が行われ治水事業が進 展したが、洪水の脅威は消滅しなかった。 その後、関東大震災や第二次世界大戦を経て、そ れまで水田や畑などに利用されてきた低地に建物が 建ち並び、いったん洪水が起きると都市水害と呼ば れる状況になった。1947年(昭和22)カスリーン台 風によって多摩川は再び大災害に見舞われた。1974 年(昭和49)には狛江水害が発生し、その報道映像 は全国に衝撃を与えた(写真24参照)。この戦後最 大級の水害を教訓として、多摩川水系工事実施基本 計画が改訂され、ピーク流量の見直しや高規格堤防 整備などが進められてきた。過去の教訓を生かす取り組みは現在も進められている。 一方多摩川流域の変貌は、時代的な社会背景をもとに多摩川と人間環境の重要性をあ らためて強く認識させることとなった。そのため、過酷な治水状況に加えて多摩川環境 表1 平成13年度調査(魚類)河口から60Kmまでの魚類 25) 写真23 ヤマメ(上)・アユ(下) 写真24 昭和49年の洪水 23) 家屋流出連続写真 多摩川本川22.4K地点左岸 昭和49年9月2日10時42分 必死の水防活動も むなしく,本堤が9月1日夜半に流失したため, 堤内地浸食が進行し,民家が次々と濁流にのま れていった。『昭和49年9月台風第16号による 多摩川の災害記録』より