36 であった。町名「弥生」には、もうひとつの歴史があった。ここは弥生式土器の発見さ れたところとして、全国に知れ渡っている。明治17年(1884)、東京大学の三人の学生 が2丁目付近の貝塚から発掘した土器は、明らかに縄文のものとは異なる特徴を持つも のだった。研究者たちは、ここから出る土器を「弥生式土器」と名づけ、日本の文化の 基礎を形作った稲作初期の時代を、町の名前から「弥生時代」と呼ぶようになった。町 名変更は、東大敷地内周辺に限って弥生を 残し、他はばっさり根津に合流というもの であった。 「根津の津は、不忍の池に流れる河口の意 味であり、向ヶ岡弥生は名前の通り、岡を 示す。その問には十メートル以上の崖があ る。低地と岡で地形的にも違うものを、津 というひとつのことばに入れ込むには無理 がある」と当時、「弥生町名を擁護する会」 図38 弥生周辺江戸・東京重図(東京時代MAP・大江戸偏に加筆合成) 30) 写真35 現在の弥生1丁目(左に東大)