20 (2)両国界隈 明暦3年(1657)の明暦の大火に より江戸500余町を焼き尽くし、その 復興とあわせて、それまで人が殆ど住 んでいなかった隅田川東部の開発が急 速に進んだ。越中島、小名木川、仙台 堀川等の地名はその頃の名残である。 色あざやかな関取衆のノボリがはた めき、ふれ太鼓がなり響くなか、雪駄 をはいた力士の鬢付け油の匂いが漂う ……本場所が始まると国技館のある両 国界隈は、相撲一色になる。「相撲の 町」両国の中心にあるJR総武線の両 国駅は、開業当時は総武鉄道株式会社 の駅として開設され、両国橋駅と名乗 っていた。明治時代は、東武伊勢崎線 も両国駅を始発駅とし、本所駅(現錦 糸町駅)、亀戸駅を経由して今の東武 亀戸線と接続していた。現在の両国駅 舎は、昭和4年(1929)の建築であり、 始発駅としての風格がある。駅の階段 を上がると正面のシャッターの向こう 側には現在使用していない車止め方式のホームがあり、昭和40年代までは房総方面の 始発駅として大活躍した。優勝力士の優勝額やレストラン(かつては「ビアステーショ ン両国」があったが、2006年2月で残念ながら閉店した)を併設している(写真19)。 また、駅横には大きなモスグリーンの屋根を有する両国国技館があり、1階には「相撲 博物館」が常設されている。 両国橋のたもとにある回 えこういん 向院は、明暦の大火による10万7千人余の犠牲者を追悼す るため創建された寺院で、天保4年(1833)から相撲の定場所(5月、11月)となっ た(図19)。その後、明治42年(1909)に回向院東にドーム型の国技館ができ、大いに 繁栄したが、敗戦後進駐軍に接収され、その後、日大講堂などに利用された。戦後大相 撲は蔵前橋の北の隅田川西側に蔵前国技館として移設し、昭和60年(1985)に現在の 両国駅に隣接した場所に移設した。この界隈には、立浪、時津風、春日野、二所ノ関等 の名門「相撲部屋」が多くあり、散策も十分楽しめる。 写真17 両国駅駅舎 かつては房総の終着駅として活躍したが、今はその 役目を東京地下駅に委譲し、レストランを併設 図19 回向院での両国大相撲 13) 「両国大相撲繁栄之図」相撲博物館所蔵