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(2)地名とのかかわり
徳川幕府の命により全国から江戸に集められた職人は、神田・日本橋周辺などの下町
に職種ごとに集団で居住した。幕府御用を請負った職人頭が一町もしくは二~三町単位
で幕府から土地を拝領し、その土地を幕府御用の職人たちに割り与えて居住させたので
ある。これがいわゆる職人町の始まりである。
江戸時代初期までに、鍛冶町(鍛冶職人)、紺屋町(染物職人)、大工町(大工)、鍋町(鍋
職人)、乗物町(駕籠・乗物職人)、銀町(銀細工職人)、佐柄木町(研師)、白壁町(壁
職人)など、手工業生産を行う同業の職人が住む様々な職人町が形成され、大いに発展
した。
明治以降、手工業の衰退や、震災・戦渦、都市の近代化などにより、東京の街からそ
の地名の多くが消え、現在では鍛冶町や紺屋町などの地名が残るのみとなっている。
(3)主な伝統工芸
今に伝わる江戸の伝統工芸についていくつか紹介する。
<江戸指物>
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江戸時代の中頃、消費生活の発達につれて、大工職の
仕事は楢物師(ひものし)、戸障子師、宮殿師などの職
業に細分化した。その一つが指物師である。朝廷用・茶
道用が発達した「京指物」に対し、「江戸指物」は、武家用、
商人用および江戸歌舞伎役者用のものが発達した。木材
の木目の美しさ最大限に生かし、あまり装飾的になるこ
とを避け、すっきりとした造形と堅牢な作りで江戸の粋
を表現している。その名称は、板と棒を組み、指し合わ
せることからきたもの、あるいは 「物差し」 を用いて丈
夫な家具を作り、器物を細工するからともいわれる。
木地(材料)は、桑、杉、桐などを使い、少なくとも
半年以上、長いもので10年~ 20年位天然乾燥させたものを用いる。仕上げは 「拭漆(ふ
きうるし)」と言う手法で何度も漆を塗る作業と拭く作業とを繰り返し、美しい木目の
出る作品に仕上げる。
現在は、東京都および通商産業省から伝統工芸品指定産地組合の指定を受けた江戸指
物協同組合に加盟する11名(H21年現在)の職人を中心に、指物技術・技法を後世に伝
えるために若手後継者の育成と技術の普及に積極的に取り組んでいる。
<江戸切子(カットグラス)>
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日本のカットグラスは、正倉院にある 「白瑠璃碗」 をはじめ、古代に属するものは何
れも舶来のもので、日本人の手によって製作された歴史はずっと新しく、近世に入っ
写真26 江戸指物
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