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4. 中央線沿線の主な駅
4-1 御茶ノ水駅 ~ 掘割によって分断された街 ~
東京駅(標高=約4m(以下、標高はHと略))の2階ホームを出た中央線は、高架線の
まま神田駅で山手線と分岐、かつての万世橋駅の上を通過、江戸時代、本郷台(武蔵野
台地東端MⅡ面)に神田川を通すため人工開削した掘割(外堀)で御茶ノ水駅(H=約
15m)と出会います
1)7)8)
。
(1)駅概要
御茶ノ水駅は明治37年(1904)に
甲武鉄道の駅として開業しました
1)
。
現在は中央線のほかに総武線、東京
地下鉄の丸ノ内線が乗り入れる接続
駅となっています。駅の北側を神田川
が並行して流れており、対岸へ渡るに
は東側の聖橋か西側の御茶ノ水橋を
使うことになります。東京地下鉄丸ノ
内線の駅は神田川を隔てた対岸にあ
り、乗り換えは 御茶ノ水橋を使う必要があります。平成22年度の1日当たりの平均乗車
人員は約102,000人とJR東日本管内では33位を記録しています
9)
。
(2)周辺の街並み
江戸時代は、付近一帯が大名屋敷でしたが、現在は明治大学、東京医科歯科大学、順
天堂大学などの大学や各種学校が集る日本国内最大の学生街として知られ、江戸の総鎮
守・神田明神、湯島聖堂、ニコライ堂
等を始めとする宗教施設等も多数存
在します。
(3)御茶ノ水の由来
1)
古くは北側の本郷台(湯島台)と南
側の駿河台が一続きで「神田山」と呼
ばれていましたが、2代将軍徳川秀忠
の時代に、水害防止用の神田川放水路
と江戸城の外堀を兼ねて東西方向に
掘割が作られ、現在のような渓谷風の
地形が形成されました。同じ頃、その
北側にあった高林寺から泉が出て、この水を将軍のお茶用の水として献上したことか
ら、この地が御茶ノ水と呼ばれるようになったといわれています。
写真10 御茶ノ水橋から見た駅舎
(奥に聖橋と丸ノ内線が見える)
写真11 明治初期の御茶ノ水
1)
(左側は湯島、右側が御茶ノ水)