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【荒川放水路】
明治43年の大洪水を契機に、東京の下町を水害から守る抜本対策として着手された
のが、「荒川放水路」です。この工事は、北区の岩淵に水門を造って本流を仕切り、下
流の江東区と江戸川区の区境の中川河口方面に向けて、延長22km、幅500mもの放水
路を開削するという大規模なものでした。洪水時には、岩淵水門を閉めて本流(隅田川)
の増水を抑え、洪水の大部分を幅広い放水路でいっきに海に流下させるのです。放水路
の工事は、第1次大戦にともなう不況や、関東大震災などで困難を極め、全体の竣工に
は20年の歳月を要し、昭和5年(1930)に完成しました(図25参照)。
・上流部:広大な荒川河川敷の北岸(熊谷堤)に寄せて蛇行部をショートカット
・中流部:千住町の北を迂回する形で隅田川から離れ、綾瀬川から中川へ通じる流
路に沿わせて中川に連絡
・下流部:中川横断後は中川沿岸の市街地を避け、やや東にふくらみ中川河口に導
く
図25 計画案に基づいた放水路ルート
(「地図でみる東京の変遷(日本地図センター)」より作成)
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一部加筆
・図中の数字は、
候補となったルート
・④案が採用された