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は、この「荒ぶる川」である荒川の氾濫・乱流を治め、いかにしてこの川を利用し江戸
の都市機能を開発していくかにかかっていました。そこで行われたのが、後世に「久下
の開削」、「利根川の東遷、荒川の西遷」と語り継がれた大河川事業です(詳細は4章
に記載してあります)。この河川事業は、すでに存在している河川を付け替え、洪水や
灌漑、船舶による物資輸送の物流体系を整備するという壮大なものでした。この大規模
な河川改修事業は、江戸時代の寛永六年(1629)、徳川家康の命を受けた伊奈備前守忠
治の手で進められました。伊奈氏は備前流といわれた河川改修術を家業とした家系で、
関東郡代として長男の忠正、次男の忠治へとその事業は受け継がれていきました。
3)明治時代以降
明治政府は、これまで各地で個別に行われてきた治水事業を見直し、重要河川は国費
で直轄事業を行う方針を打ち立てました。荒川は、有史以来江戸・東京に度重なる洪水
被害を及ぼしてきました。特に、明治40年(1907)と明治43年(1910)に起こった洪
水は、近代国家建設を目指し拡大していた市街地や工業地を浸水させ甚大な被害を与え
ました。そこで明治政府は、「臨時治水調査会」を設け、治水計画の抜本的な見直しを
行いました。その代表的な事業が、荒川の近代的な治水の礎となった「荒川改修計画」
です。この改修計画は荒川を上流部と下流部に分け改修計画が進められました。荒川下
流部の改修事業が現在ものこる「荒川放水路」です(詳細は4章に記載してあります)。
表3に荒川放水路工事の概要を、図4に荒川放水路事業計画図をまとめました。荒川放
水路は安価な労働力を背景に、人力、機械、船を駆使し、荒川放水路を計画した原田貞介、
工事を指揮した青山士(施工エンジニア)らの卓越したエンジニアのもとで進められま
した。
表3 荒川放水路工事概要
5)
項目 数量 備考
延長 22km
川幅 455m ~ 582m
総工事費 31,446,000円 当時大卒初任給 35円
土量
浚渫 910万m
3
掘削土量
2180万m
3
=東京ドーム約18杯分
掘削 1,270万m
3
築堤 1,204万m
3
橋
鉄道 4橋 総武線・常磐線・東武線・京成押上線
道路 13橋(1鉄橋、12木橋)
閘門および水門 閘門3 ヶ所、水門7 ヶ所
土地買収 1,098町歩 約11km
2
=東京都北区の面積の約半分
移転戸数 1,300戸