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2.超高層建物の沿革(歴史)
日本国内で高さ60m以上の超高層建物が初めて建てられたのは昭和39年(1964)で
すが、それまでには法律による高さの規制がありました。ここでは、これらの経緯につ
いて紹介します。
<大正期>
大正8年(1919)4月5日に公布された市街地建築物法に基づき、市街地建築物法
施行令が大正9年(1920)9月30日に官報で公布され、同年12月1日から六大都市(東
京市,大阪市,京都市,横浜市,名古屋市,神戸市)に適用されました。建築物の高さ
は、当時のロンドン建築法の100フィート(30.48m)という高さ制限に倣い、同令第四
条により100尺(約30.303m)に制限(通称:百尺規制)されました。百尺規制により、
建築物は9階建て程度に制限されましたが、その結果、都市部では同じ高さに揃ったオ
フィス街が各所に形成されました。特に、規制直後の大正12年(1923)9月1日に発
生した関東大震災によって瓦礫の山となった東京市の都心では帝都復興院の指導の下、
多くの民間のビルが規制限界の高さで建設され、高さ百尺のビルが連続するスカイライ
ンを形成しました。また、大正15年(1926)6月、市街地建築物法は六大都市に加え
て全国41都市に適用を拡大しました。
<昭和期>
昭和6年(1931)、市街地建築物法が改正され、高さ制限は尺貫法による100尺(約
30.303m)からメートル法による31m(102.3尺)に変更されました。高さ31mは、大
凡100尺と見なされ、同法改正による規制も、その後「百尺規制」として通称されまし
た。戦後占領期の昭和25年(1950)11月23日、市街地建築物法が廃止されて建築基準
法がとって代わりましたが、関東大震災の教訓が生かされて同法第五十七条により建築
物の高さは31mに制限され、百尺規制はその後も引き継がれました。また、高度経済成
長期前半には、地方都市の中心業務地区でも百尺規制のビルが連続する景観が形作られ
ました
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。ただし、建築基準
法の特例により31mを超える
高さの建築も可能であったた
め、昭和28年(1953)には高
さ41.23m、12階 建 て の 大 阪
第一生命ビルが竣工し、昭和
29年(1954)には高さ43m、
11階建ての東急会館(現在の
東急百貨店東横店西館)が増
築により完成しました。 写真 1 百尺規制時代(1960 年頃)の東京都丸の内
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