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戦後の高度経済成長と昭和39年(1964)の東京オリンピックは、1960年以降の建設
ラッシュをもたらしました。また、建設ラッシュ期に建築基準法が改正され、昭和36年
(1961)に特定街区制度、昭和38年(1963)7月16日に容積地区制度が創設されました。
特定街区制度とは、都市計画法による地域地区の一つで、既成市街地の整備・改善を図
ることを目的に、ある街区において既定の容積率や建築基準法の高さ制限を適用せず、
別に都市計画で容積率・高さなどを定める制度です。これらにより、百尺規制が廃止さ
れて、容積率による規制が本格的に導入され、高さ31mを超えるビルが建てられるよ
うになりました。そして、特定街区の指定第1号として「東京都市計画霞が関3丁目特
定街区」に、日本における最初の高さ100m以上の超高層ビルとされる“霞が関ビルデ
ィング”が昭和43年(1968)4月に建設されました。しかし、1960年代の日本におけ
る高さ100m以上の超高層ビルは、同ビルと昭和44年(1969)に竣工した高さ109mの“神
戸商工貿易センタービル”の2棟のみにとどまりました。写真2は、“霞が関ビルディ
ング”の竣工当時の上空から撮影されたもので、周囲の建物と比較すると群を抜く高さ
だったことが分かります。
写真2 竣工当時の霞が関ビルディング
2,3)
霞が関ビルディングは、初めは敷地16,300m
2
に地上9階建て高さ31mのビルを建て
る計画でしたが、昭和38年(1963)の建築基準法などの関係法規が改正されて、超高
層の計画が検討されました。その結果、地上36階地下3階、高さ147mという現在の高
さになり、工事は昭和40年(1965)2月に着工し、昭和43年(1968)4月に完成しま
した。工事費は当時の金額で約163億円
2)
と莫大な費用をかけています。
その後1970年頃から、地方都市でも高さ31mを超えるビルが建ち始め、新宿副都心
などの開発計画が本格化し、1970年代末には国内の高さ100m以上の超高層ビルが30棟
を超え、この頃には日本の都市部では超高層化時代に突入しました。東京では続々と超
高層ビルが林立し、百尺規制で建てられたビルのスカイラインは無くなり、景観が全く